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運 命 に 身 を 任 せ て         栗田 徹(天童動物病院院長・山形県獣医師会会員)

「単に犬や猫などの動物が大好きだ」という理由で獣医師を志した。

大学入試の面接では、志望理由を聞かれてそのまま「小さい頃から動物が好きで、口のきけない動物の病気を治す獣医師になりたいと思って受験しました。」と正直に堂々と答えた。
ところが自分の次の受験生は「自分は生命の神秘、生命の根源を研究したい。生物学を極めたいと思って受験しました。」と返答したのだ。

それを聞き、「なんてかっこいい志望理由なのだろう。それにくらべて自分はなんて幼稚なことを答えてしまったのか。」と。もう少し気の利いた返答をすべきだったと心のなかで嘆いた。
しかし次の瞬間自分の返答は誤ってもいなかったことを理解することになる。なぜなら教官はその受験生にこう言い放ったからだ.「そうですか、それでは君は獣医師の免許はとくに必要ないね。」と。
あのときの面接が功を奏したからか、運良く大学合格の電報が届いた。

大学に入学して牧場実習ではじめて牛に触れ感動し、その勢いで夏休みは同級生と旅行気分で北海道の畜産農家に牧場実習に行った。そこでは多くの獣医学科の学生が経験したように、朝夕の牛の世話と搾乳に加えて、日中は延々肉体労働(乾草あげ)にあけくれ酪農の厳しさを体で経験することができた。

最初は自分達が獣医学科の学生であるから、勉強のために実習生として受け入れてくれているものと思っていたが、日が経つほどに単なる夏の季節労働者として期待されていることを知った。
それでもやはり牛に関わりたくて3年生になり、牛を飼育している臨床内科学教室に入室した。

研究室に入ってからは、夏休みになると毎年のように北海道の斜里共済組合の診療所に実習生としてお世話になり、産業動物の獣医師を目指した。
そして幸い希望通りに家畜診療所に就職が決まり、無事に国家試験も合格し産業動物獣医師としての一歩を踏み出すこととなった。

そして、先輩獣医師の鞄持ちをしながら、直腸検査などがはじまったが、そんな日々も長くは続かなかった。
ある日突然、所長から驚くべきことが言い渡されたからだ。
「明日から犬猫診療科の方に出勤してくれ」と。
自分の就職した診療所は産業動物の診療がほとんどであるが、小動物部門の診療施設も有しており、そこを担当していた獣医師が長期の療養が必要となったため、まだどこの地区も担当していない自分に白羽の矢が立ったのだ、
それは、忘れもしない卒業して間もない5月15日のことだ。

急なことなので病院の引き継ぎなど何もなく、もちろん次の日から悪戦苦闘、毎日冷や汗ものの奮戦記が始まったのだった。

獣医師は自分ひとりだけ、それに40歳くらいの事務員のおじさんが助手についてくれた。
自分は白衣を着ているのだが、当然のことながら飼い主さんはいつも事務員さんの方をみて症状の説明をするのが常だった。
そんなある日、「自分のペットが交通事故にあった」と電話があった。
詳しい内容は聞かず、「すぐに連れてくるように」とだけ伝えて電話を切った。

緊張感が走った。自分でできるだろうか?
呼吸が止まっているかもしれない。そうであれば強制換気のため、気管内チューブを挿管しなければならない。
ちゃんと挿管できるだろうか。ちょっと自信がない。
気管内チューブを用意しようと思ったが、犬か猫か聞くのを忘れたことに気づいた。
仕方がないので猫から中型犬くらいまで使用できるものを用意しておくことにした。

心停止であれば心臓マッサージが必要になるため、とりあえず心電図モニターをすぐに使えるように準備した。

出血の有無について聞くのを忘れていた。
保存血液があるわけでもないので、止血の処置をした際の出血性ショックを防止するため、大量の輸液が投与できるよう留置針も用意した。

とにかく色々な状況を想定する必要があった。こんなことになる前に電話でもう少し状況を聞いておけば良かったと。
なんと慌て者の未熟者であろうか。

20分ほどすると、飼い主さんが大切そうに段ボール箱を抱えて診療所に飛び込んできた。
大きさからすると猫だと思った。いざ本番開始だ。
通常であれば受付をするのだが、まっすぐ奥の処置室に入ってもらった。
処置台の周りにはすでに色々な場面を想定して様々な器具・機材が用意してある。準備万端だ。

すぐに箱を開けてみると,一瞬目を疑った。そこにはなんと漬け物石のような物体が、ど真ん中にどんと置いてあったのだ。
しかし、よく見ると,これは物体ではなく紛れもなく生き物であった。
まさか交通事故にあったペットが「カメ」だなんて、自分の想定外であり頭の片隅にもなかった。
頭の中はもう真っ白だ。
さっきまであれこれ考えていたことがすべてどこかに飛んでいってしまった。

カメは生きていた。具合が悪いのか、その姿からわからなかったが、甲羅の端にひびがはいって少し割れていて、そこから出血していた。
この時カメの血を初めて見たがやはり赤かった。
子供の頃観たガメラの血は緑だったのにと、余計なことを考えながらしばらく沈黙状態だった。

「先生大丈夫でしょうか?」という問いかけで我に返った。聴診器も体温計もなにも役に立たないことに気づいた。
粘膜の色で出血の程度を判断しようと思って頭に手をやったら、甲羅の中に引っ込めてしまった。
文字通り手も足も出ないのだ。

結局牛の蹄病軟膏で甲羅の止血をして、抗生物質を後肢の付け根に注射しただけという、何ともすっきりしない治療を行った。
犬猫の診療さえままならいないのに、カメなどわかるはずもなかった。

あれから約20年。
どうやら家畜診療とは縁がなかったようで、今も小動物診療の毎日である。
幸い少し経験を積んだおかげで、カメの診療の問い合わせがあっても丁寧にお断りして他の病院を紹介している。

そして今でも放牧場などで乳牛を遠くからながめる機会があると懐かしさがこみ上げてくる。

栗田 徹

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―略 歴―
1986年 日本獣医畜産大学卒業
  山形県で勤務獣医師
1989年 東京都内で勤務獣医師
1991年 山形県天童市にて天童動物病院を開業